シリーズ:A&B
〜天使と茹卵




twnovel書きが二人、意気投合して連作などやってみました
「合作で連作」と云う掟破りにも程があるチャレンジ、いかがでしょうか
文責:@Swishwood

00-1 overture.
「神はどうして人間を作ったんだろうね」「ご自分の姿を模されたそうよ」「でも神は不完全な人間を好きなんだよね」「ええ、いつも見守ってくださっているの」「という事は、神は不完全で尚かつ自分大好きーってならない?」「……御使いのする会話じゃないわ」

01「予感」
「せんぱーい、異動決まっちゃいましたー」「あら、今度はどこへ?」「人を問題児みたいに言わんといてください」「実際問題児でしょ」「むぅ。今度は『地上』らしいです」「あらあら……また物騒な所へ」「えー、でも楽しい場所ですよ?」「……それ、異動じゃなくて左遷じゃない」

02「状況把握、ナシ」
重厚な扉が重苦しく開いて苦り切ったうちのボスが入ってきた。「新入りだ、お前なんとかしろ」寄越されたファイルはどうせ身上書、しかし何だこの附記の山は。大聖堂の片隅、喫煙所。盛大に溜息と煙を吐いていると……来やがった。にへら〜っとしてんじゃねえ。行くぞ、駄天使。

03「秘め恋」
天使が清らかで潔癖で純粋で崇高なものだって、誰が決めたの? 天使だって人並みに感情はあるし、恋だって嫉妬だってするわ。え、神が一番じゃないのかって? ……内緒よ? 私本当は、ものすごくお側にいたい方がいて、その為には堕天してもいいって思ってるの。秘密なんだから。

04「危機認識、ナシ」
今日も目の前には始末書の山。誰のかとか聞くな。あいつが来てからと云うもの、俺の仕事はアタマ下げて廻ることになったのかと錯覚する。当の本人はと云えば、やれあそこに行きたいだのこれ面白そうだのこれ買ってだの、毒づきゃ「冒瀆よぅ」って、お前は異端審問官かよこの駄天使!

05「すきんしっぷ」
少し肌寒くなってくると人肌が恋しくなってくる季節。だからか、寄り添い歩く恋人達が多いような気がする。どの人間も幸せそうに見える。……いいなぁ。「おいこら、なにひっついてんだ」せんぱい冷たい。相棒とか相方とか思ってくれても。「うっさい、無能!」ひっぺがされました。

06「適応力、アリ」
俺は暖房じゃねえ。俺は財布じゃねえ。俺は保護者じゃねえ……とは云い切れんか。「アンタがこんな時期に生まれるのが悪いんだ」と心の中でボヤきつつ、缶珈琲を投げてやる。「ほれ」落っことした。「ドジ、ノロマ。帰るぞ駄天使」誰が抜かしやがった、世は全て事も無し、なんて

07「魅惑の都」
「ぱんでもにうむ、って言うらしいですよ?」「ああ、全ての悪魔が集うっていう万魔殿の事な。お前が言うとあほっぽく聞こえるが……いきなりどうしたんだ」「あそこをそう呼ぶって聞いたんです。前の職場で」あいつが指差したのは、秋葉原だった。ひとまず殴っておく。

08「遠慮、ナシ」
とりあえず帰っては来たものの、だ。なんで俺はこんなもんを抱えてる。両手にかかるこの重みは何だ。事もあろうに万魔殿呼ばわりしておきながら、あのはしゃぎようときたら。一瞬でも気を許した己を悔やむが、麗しの駄天使どのはご満悦そうである。……さっさと脱げ、そのカボチャ。

09「心配の種」
気怠そうに閉じた本は、重厚な装丁を施されたもの。ここ数日の悩みの種は仕事に関してではなく、左遷という名の異動になったお気楽な後輩の事。きちんと仕事はしているのか、ちゃんと食事はしているのか……これではまるで母親ではないか。彼女は吐息もほろろに休暇願を出しに行った

10「予兆、アリ」
「来月のゲスト一覧、ここ置いときますよ」「ああ」「職場見学だな。面白いから奴には黙っとけ」「いいんですか?前に大喧嘩してるでしょう」「ふん」「では。知りませんよ」俺と入れ違いに出て行くシスター。どうにも嫌な予感がする。ボスが怪しい。「ご苦労。嬢ちゃんはどうだ?」

11「迷い道」
地上へと降りるのは随分と久し振りな気がする。最後に降りたのはどれくらい前だったか……そこで憧れの方とお会いできたのだけど。けれど久し振りすぎて、自分の立つ場所があやふやすぎる。……ここは、どこ? 困った事に、どうやら迷子になってしまったようで。前途多難だわ。

12「居場所、ナシ」
追い出された。ちょっと待て、そこは俺の家だぞ。問答無用、聞きゃしねえ。徹底籠城の構えらしいが……これが予感の正体か?仕方がないので街に出る。どうせ腹が減ったら折れるだろ、と買物の紙袋に遮られて、ぶつかっちまった、美人と。道に迷ったらしいが、なんだ、この悪寒は。

13「遭遇と邂逅」
とん、と軽い衝撃。「まあ、すみません。余所見をしていたもので」「いや、別に……地図見て、どこ行きたいんだ?」「あら、ご親切に。こちらの場所を探しているのですけれど……」「……ンなっ」示された住所は良く知る場所のもの。これはなんてサプライズだ?

14「逃げ場、ナシ」
一体何が、どうなってる。努めて平静を装いつつ、「ああ、うちの近所だ」近所どころか部屋番、俺のじゃないか。結果として部屋の前な訳だが……当然籠城中だわな。経緯は何故か道すがら洗いざらい白状させられてたが、ドアの前で彼女は不思議な言葉を口にした。途端、ガタッと音が。

15「天使の微笑み」
「大丈夫、出てくるから」「何で言い切れる……って、近っ!?」「しー」「……せんぱい? 一体何が……ってなにしてるんですかこの変態スケベえっちー!?」「ほら出てきた」額寄せた彼女は愉しそうに笑うが、俺は酷い罵声を浴びせられた挙げ句、いつも俺がするように剥がされた。

16「痛む幕間」
ててて、まだ痛む。手当は彼女にしてもらったものの、客人に手間を取らせるのも申し訳ないので茶の用意などしているが、当のやつは土産を頬張ってご機嫌である。予感はこれか。まさか「あっち」での先輩とは、局長の奴黙ってやがったな。人数分のカップを出した頃、薬罐が騒ぎだした。

17「見えない不安」
せんぱいが二人。せんぱいが二人。何回指折り数えても、せんぱいが二人。あっちとこっちのせんぱいで、二人。お菓子を食べつつ考えていたらこんがらがりそうです。せんぱいは優しく撫でてくれて、せんぱいはお茶の準備をしてて。でもなんだろう。不安で不吉な予感がします。

18「拒否権、ナシ」
逃げよう。飯の準備だ。厨房に消えてしまえば暫くは問題は無い筈だ、などと云う考えは当然、甘過ぎた。背後からのうまくやれていますか、と当たり障りのない質問に口を滑らせたのが運の尽き、今は色々恐ろしくて振り向けないのに、レンジが非情に完成を告げる。隣に、天使の微笑。

19「晩餐、正餐」
「せんぱいのご飯おいしーんですよー?」「あら、こっちでも作ってもらってるの? 仕方ない子ね」「だって料理できないんですもん。えへん」「威張るな!?」「あらあら」「つか、こいつ躾し直した方が良くないか?」「せんぱいひどーい」「うふふ」サバトという名の賑やかな食卓。

20「緊張、ナシ」
「ま、あんなんだ。どうやら変わってないっぽいな」安堵の応えにこちらも一息吐くが、時折心ここにあらず、の様子。訊くのも些か憚られるが、こと御婦人のことだしな。「この後、どうすんだ。用事はこれだけじゃないんだろ」そんな空気をよそに、我等が駄天使どのは夢の国らしい。

21「天使の祝福」
なんだかんだと元気にやっている様子に安堵の吐息を零せば、彼と目が合った。なんかだ気まずそうな気恥ずかしそうな彼。もう大丈夫。彼女の今の居場所はここなのだから。けれどこれだけは許してもらいましょ。別れ際、彼の額へのキス。貴方に祝福を。……あら、起きたみたい?

22「凶兆、アリ」
にこやかに、また明日、と彼女は辞した。明日は奴と二人で出掛けるそうだ。俺は用事を一つ思い出し、明日を彼女に託す。不意に昔の相棒が、あの気難しい理屈屋が脳裏を過ったから。「一神教なんて、破綻してると思わないか」奴はそう云い放った。事もあろうに、聖堂の片隅で。

00-2 fragment.
「これを君が読む頃、僕が何処に居るかは、多分僕にとっては知られてはならないことなのだろうと思う。けれど、もし君が”それでもいい”と云ってくれるのなら。迎えにいく」──パンドラの忘れ物、或いは読まれなかった手紙

23「必然の再会」
あくる日、後輩との待ち合わせに歩いているところへ一陣の風が吹き込む。ああ、あの日もこんな風が吹いていなかったか。ふと思い出すのはあの出会い。出会うべくして起こった、偶然という名の必然。「御使いにしておくには惜しいんだがな」……あの時と同じ、言葉が。降る。

24「契約、アリ」
運転手に告げた場所は旧い聖堂。朽ちかけた扉の、その奥の底。それはそこに、友が告げたままに。「まさかここに又来ることになるとはな」匣。開ければ色々碌でもないのは昔話通り。「家」がどうとか云ってたか?今更まるで笑えんぞ。約束は果たしてやる、二度と出てくるんじゃねえ。

25「ひとり」
せんぱいは、来なかった。待っても待っても来なかった。ひとりぼっち、まちぼうけ。そっと頬を撫でるような優しい風の感触、あたたかな匂い。せんぱいはいってしまったんだな、って……その時になんとなくわかった。泣き出しそうなのを我慢してた時。頭におっきな手の感触。

26「暗転」
鼻腔にキナ臭いものが走った。ヤバい、決定的な手遅れの匂い。訳もなく走る。莫迦な生き方、とは自分でも思う。今更こんな物何になる。なんで俺は走ってる。修羅場離れて何年だ?ちったァ鈍ってろ、俺の勘。最悪だ、鈍ったのは躯だけかよ。所在なげに立ち尽くすのは、小さな、背中。

27「溢れ出す感情」
せんぱいが、いなくなった。帰ったんでもない。せんぱいだった存在が、いなくなったんだ。『堕ち』ていったのだと、全部の感覚が告げていた。おっきなあったかい手の感触に振り返った時、我慢できなくなった。生まれて初めて泣いた。声を上げて、いつまでも。

28「慟哭と錆」
大声をあげて泣くあいつは、なのに今迄で一番大人びて見えた。飲み干したカップを置き「行くぞ」ここに居るのは只の執行人。嘗て10-00「総取り」と呼ばれた、牙持つ子羊。「来るか」頷き。護るべきは背負った。ならば折れる筈などない。嗤うか、錆びた牙の傷は、癒えぬと知れ。

29「断罪の大鎌」
慟哭──哀しみを知った天使は、慈愛の存在ではなくなってしまう。それでも泣かずにはいられなかった。優しさと儚さ、愛を携えたのは過去。今この手にあるのは死を告げる断罪の鎌。「連れてってください」でも、どうして……うまく、笑えない。

30「伏せた札」
頬を引っ張ってやるほどの器用さは俺にはない。突き放すには錆びすぎた。方々の昔馴染みを訪ね、積み上げた資料の山を、意外なくらいあいつが手際良く纏めてくれている。休暇の訳を訝しまないのは、知っているからか。「結論から云えば、可能だ」その一言に賭ける。切札は、匣の中。

31「逢瀬」
彼がまず触れたのは、髪。ゆっくりと梳るようにその手指に一房絡め取り、滑らせていく。滑り落ちるほんの手前。指先は一房を優しく抱き締めるように包み、そして髪に落とされる口付け。それで、充分だった。どんな罰が待っていようとも、どんな未来が待っていようとも。貴方と共に。

32「鍵と情と」
元は白衣だったろう男は饒舌に語る。「触媒が必要だ。彼女自ら祝福したもの。肌身離さず持っていたなら尚いい。それと」ならば可能か。だが?最早帰すことは出来ん、それでも良いのか。「彼女がそれを望むと……思うかい?」一言多いぞ天使オタク。叩き付けたドア、それが俺の答えだ

33「痛み、立ち止まる」
あれから、笑えなくなった。せんぱいの事を思い出すと胸がどうしようもなく痛くなって、それから逃げるように戦技に打ち込んだ。独りに、なりたくなかった。もう泣きたくないのに……どうして。独りきりになれば涙が零れる。だから、泣くのはここ。浴室からいつまでも、出られない。

34「告死天使」
「悪いな」「良い運動にはなりました。流石、その辺りの見立ては……ですね」「その名で呼ぶな」「済みません。ただあの娘の、あれは……鎌ですか?また随分と物騒なものを。告死天使でもあるまいし」知っているのか、それとも。「局長から預かりました。すまん、と」鍵と、免罪符。

35「堕天」
熱を交換する。融け合っていく。この躯も、この心も、堕ちていく。悔悟は決意となり、哀しみは歓喜と変わり果てる。ああ……堕ちていく。躯も心も、そして翼さえも染まっていく。高みへと押し寄せる波に、私は全てを投げ出した。罪も罰も。貴方の為ならば……この身、惜しくはない。

36「昏い幕間」
「お戯れが過ぎますな」「現に彼女はここに存在できている。それに、彼女が望んだことだ」靴の音はあくまで冷たく、燭火は爛々と。「お父上から言伝は預かっております。違えるな、と」「ふん」アレは籠の鳥か?否。水音は途切れ、嫣然と。告げし者の裔、果てには我が胸に泳ぐか。

37「カミサマ」
茹だりそうなくらい火照った身体を冷まそうと浴室のドアを開ける。タオルを取ろうと手を伸ばしたら、そこに降りてきたのは一羽の白い鳥。ソラからのお使い、伝令役。役目を終えると鳥はふっと掻き消えてしまった。……ほんとに? 目許に熱いものがこみ上げた時、玄関が開いた。

38「動けぬ砂」
そこは世界を律する暗部。容ある信念のカタコンベ。己が名を認め、開く柩には半身。交代だ。誰を生かし、誰を殺す。委任状はこの手に。塒への足取りは、ただ重い。開け放した扉の向こう側に、だから気づきもせず。砂の心は、ただ涙を受け止めるだけ。熱だけがそこで震えていた

39「歩き出せる」
はっと我に返ると、自分の格好に気が付いた。でもせんぱいはせんぱいで、さらっとしれっと、しかも冷たく。「色気づいてんじゃねぇ」胸貸してくれた人の台詞じゃありません。我に返って恥ずかしついで。オマケに照れ隠しもこめて。すぱーん、なんて小気味良い音が響いたのはご愛敬。

40「牙と電話」
ほんのひと月と経っていないのに。似た痛みは、けれどあの日と違うもの。逡巡はないと云えば嘘になる。あの野郎がそうでさえなければ、手荒い祝福の一つもくれてやるものを。祝福にはあまりに凶暴なそれは、ブランクを感じさせる事なく馴染んだ。電話をしようか、アポは取らんとな。

41「決意、決心」
よく冷えた水を一口だけ飲む。さらさらと柔らかな衣に袖を通す。鏡の中に映った自分は、なんだか自分じゃないような感じがした。あたし、こんな表情してたっけ……。ふる、と一度だけ頭を振れば、少し伸びた髪を摘む。瞑目は一瞬。そして共に結い上げるのは心。もう、迷わない。

42「躊躇う牙」
問う。誰が為に起こす撃鉄か。問う。誰に捧げる祈りか。答えなど、あってなきが如し。誰の責任でも、ない筈だ。女が一人、男の許へ駆け込んだ、それだけの事。誰もわかっていて、誰も止められなくて。俺は何がしたい。そうして何になる。少しだけ高くなった視線に、だから気づけない

43「哀情」
せんぱいは、あたしを見ていない。どこも見ていない。前も向いてない。だから気付けるはずの事に、気付けてない。「せんぱい……ちょっと出かけてきます」返事はきっとない。だからあたしも今は見てやらない、それ以上何も言わずに静かに出て行く。結い上げた髪が寂しげに揺れた。

44「茹卵と掌」
時間は、あまりない。焦っても、仕方がない。これもいつかはパンだったに違いあるまい、と壜から一口含む。肚の底から全身に広がるのは、だから受難の茨か。グラスに氷と、冷蔵庫から茹卵。最後の晩餐にはあまりに貧相だが、等と呟けば玄関で音がする。結い上げた髪の揺れ、翻る掌。

45「熱の行き先」
今までで一番鈍く響く音。頬を張った手が灼けるように熱い。ダメ、もう……こんなせんぱい、もう見ていられない。「せんぱいの意地っ張り。臆病者。いい加減、きちんと向き合ってください」手だけじゃない。熱を帯びた感情が堰を切る。我慢、できない。だから。琥珀色の液体を掴む。

46「感触と卵」
無茶しやがって。莫迦が、そうさせたのは何処の何奴だ。こんな小娘にまで、と思ってたんだがな。暫く唸ってろ。キッチンで。奪われた感触を振り払う為に水を飲む。これじゃまるで、俺が背負われてるな、と。腹拵えだ、起きるまでに作ってやろう。孤独な玉子は、やがて二人の食卓へ。

47「羽化」
夢、じゃないと思う。ひっぱたいた事も、グラス一杯一気に飲み干した事も、そして……あの感触も。勇気が欲しかった。笑って欲しかった。──きちんと、前を向いて欲しかった。これもあたしの……私のワガママだから。でも今だけは赦して欲しい。「……先輩」背中へそっと呟いて。

48「苦笑と髪」
「気ィ付いたか。飯、喰ったら出るぞ」迷って何になる。洗い流した筈の感触が熱く自己主張する。背中を預けても、大丈夫なのだと。背を向ける前に目が合う。上手く笑えただろうか。背中に小さな声。「髪、伸びたんだな」我ながら間抜けな声だ、そんなことにも気づけぬなら当然か。

49「迷い指」
いつもと同じ、でもいつもと違う、せんぱいの声。先輩の表情。大丈夫。立っていける、歩いていける。「やっと気付いたんですか? 遅いですよ……先輩」今ならきっと気付いてくれるんだろうか。私の中に起こった変化を。訪れた感情を。でも悔しいから、伸ばしかけた手を引っ込める。

50「左右の手」
「荒事になる。稽古は付けて貰ってるだろうが、甘くはねえぞ」頷きに含む、僅かな不安。なんてツラ、しやがる。決意の左手、躊躇の右手。不器用なのは今に始まったことでなし、握りしめた躊躇ごとその手を掴む。「さっき話した通りだ、お前にかかってるんだからな」万魔殿は、眼前。

51「秘密の希望」
出発の少し前。思い出して、せんぱいに拝借してたお財布を返却。中身がごっそり減ってるけど、気にしないでほしい。だってこれから先に必要なものなんだから。にっこり笑って見せるのは、小さな小さなベルベット地の匣。中身は教えてあげません。まだ秘密なのです。

52「匣の中に」
自業自得と……云うことか? 見違えたぞ、このボロ財布め。とは云えそれで少しは気も晴れるなら、だ。が、またしても匣か。勢いで掴んだ手は放すに放せず。掌中の匣、懐中の匣。決意に変りなし、背中に憂いなし、胸中に覚悟あり。さて御曹司、我が相棒、旧き友よ、面会の時間だ。

53「熱の指先」
不意をつかれるように手を掴まれて指先が絡んで握られる。こんな不意打ち、卑怯です。少し俯いたまま手を引かれるままに歩いていけば、そこはもう見知らぬ場所。でもわかっている。本能で知っている。ここで決着をつけなければ誰も前に進めないのだと。「先輩、行きましょう」笑顔で

54「サイカイ」
「……を。アポイントは取ってある筈だ」人の世に身を窶すには、それなりの備えを。誰が思う、其処こそは万魔殿の門と。昇降機は登りながら堕ちてゆく。掌から、熱と鼓動。開くフロアに、奇妙な静謐。そこはもう、ヒトの世でなく。隠しもしない魔を纏い、嘗ての相棒が俺達を迎えた。

55「万魔の情」
「えっと、お邪魔します……あの、決着をつけに来ました。私達にとっても、貴方達にとっても」我ながら気の抜けた事言ってると思う。しかも手は繋いだままだし。説得力のカケラもない。でも、何故だろう。ここは魔の気配で満ちているのに。せんぱいもあの人も、優しい気配がする。

56「ダッシュ」
「ま、そう云う訳だ。俺はこいつを返しにきただけなんだが」なんて決まりの悪い。手を離す、もう目配せも要らない。駆ける。賭ける。互いの次の動きは理解している。咆哮と白刃が錯綜し、裂帛の一声すら輻輳する。「鈍ったんじゃないか?」「お互い様だろうがッ」裏腹に湧く、笑み。

57「残されて」
「あーもー先輩最初から飛ばしすぎ」「あらあら。男性はいつまでも少年の心を持っているものよ?」せんぱいは楽しそうに笑って、二人が消えた先を見つめていた。「……わかってる、んですよね。あたしが、私がここにいる理由」「ええ、後悔しない為でしょう?」笑顔が、優しかった。

58「少年たち」
「あん時もそうだったよなァ!?」「忘れたいんだがな」下らないことばかり思い出す。いや、かけがえのない思い出か。あいつも俺も理解しているのだ。放つのは紛れもなく殺気、狙うは常に一撃必殺。けれど、それは少し遠くから見れば。女達には、再会を歓び合う手荒い歓迎に見えた。

59「銀の刃」
「辛い選択をさせてしまったみたいね」哀しそうな笑みのせんぱいに、ふるりと首を横に振る。「私がここにいるのは、せんぱいを裁く為でもヒトへ解界させる為でもないです。そして、恨んでもいない」手に集った光が生み出すのは大鎌。私はそれを躊躇いなく、せんぱいへ振り下ろした。

60「平行線を」
それはそこには、そこにだけは有り得ざる「聖い」気配。気付かぬ程度なら、命などとうに落としている。全く同時に同じ方向を睨む男達。互いの行動に気付いたとき、自然と肚の底から笑いがこみ上げてくる。「何やってんだろうな」「お前が云うのか、それを」そして、天使が舞い戻る。

61「生まれ変わる」
断罪の大鎌が断ち切ったのは残されていた「聖性」──せんぱいの長い長い蜂蜜色の髪。それは淡く輝く光の粒子となって、あたしへと吸い込まれる。瞑目は一瞬。魔の気配で満たされた空間に、浄き気配が広がりゆく。結い上げていたはずの髪はいつしか解け、長い長い髪がさらりと零れた

62「放蕩息子」
「はは。そんな手があったか。親父殿もこれでは口も出せまいが」「行くのか」「まあね。こう見えて勘当されているような身だ。アレは君に預けとくよ」「知るか。お前の為にじゃねえ、精々くたばるな」パズルが戻る。交錯した時がまた動き出す。そこは天でも魔でもなく、人界の一隅。

63「分かたれた道」
響いてきた笑い声に知らず安堵する。力の吸収と昇華に伴って生じた背の翼を戻し、肩くらいまでの髪の長さになったせんぱいの手を引いて歩き出した。「行きましょ、せんぱい」「もう……貴女って子は」「言ったはずです。後悔したくないって」そして銀と水晶細工の髪飾りを彼へ渡す。

64「永訣の餞」
「さて、一応資格は持ってんだがな」「相変わらず悪趣味なことを云うな、君は」そう云いながら手中の髪飾りを、在るべき処へ。「これはあんたが持ってろ。俺には預かれん」彼女の掌に、もう一つ。多分それも、在るべき処に。「さあ、何処へでも行っちまえ」ってお前それ待て、おい!

65「願う、シアワセ」
髪飾りと一緒にせんぱいも彼の傍に。そこが在るべき居場所なのだから。軽口叩き合う男性陣を尻目にあたしは先輩の懐を漁る、漁る、漁る。……あったぁ! 小さな匣を彼らへと放りつつ、あたしは先輩の腕を取った。「せんぱいの事、幸せにしてくださいね」匣の中身は一組のペアリング

66「損害、アリ」
いきなり懐に手を突っ込まれれば誰だって吃驚するだろう? 要するに今の俺だ。まあ、最悪の事態は回避できたのだろうし、これで良かったのか。……いや、待て。それ、元はと云えば……俺の財布から持って行った分だろうが! 大赤字だぞオイ! 聞いてんのかコラ、こンの駄天使が!

67「いぢわる」
あわあわしてる先輩なんて怖くありません。匣を受け取った二人に軽く手を振り、先輩の腕を取ってそのまま目指すのは窓辺。……なんですかその目。そのお小言。その罵声。聞く耳持ちません、とばかりに大きく広げる純白の翼。そうして踏み出せば空の領域。……腕、離しちゃいますよ?

68「選択権、ナシ」
これはお前、いくら何でも卑怯って云うだろう普通。物理法則とかあるんだが、聞いてるか? 訳のワカラナイままに俺は今空を、飛んで、いる? 非常に遺憾ではあるが、生殺与奪の権は余す所なく麗しの駄天使どのに握られているらしい。非常に宜しくない。降ろせ、いや降りよう、な?

69「純白と蒼穹」
こうして空を飛ぶのも、誰かと一緒に飛ぶのも、随分と久し振りな気がします。風が気持ちよくてご満悦……なのはあたしだけ。先輩はあわあわして、その後に出された提案。それもまあ尤もなので、ほんの少しだけ翼をはためかせて降り立ったのは緑豊かな公園。そして先輩の顔を覗き込む

70 finare.「春日晨明」
心臓に悪い。この視線。色々な意味で。「こりゃ、多分クビだな」随分大人びたよな。「探偵でもやるかね、コネならあるしな」背中を預けるに足るのは認める。「助手……募集せんとな」何を云ってる、俺は。「帰るぞ、……」初めて名前で呼んだ日。早春の風に、純白の翼が弾んだ〈了〉

@sakuyue:哉桜ゆえ
@Swishwood:指月庵水琴亭

テンプレート配布サイト:スピカ